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OLIVER DAWSON SAXON インタビュー

OLIVER DAWSON SAXON インタビュー
2019年9月6日
新宿ZIRCO TOKYO

JERO: 今回はインタビューを受けてくださってありがとうございます。では初めにメンバー全員の自己紹介をお願い致します。

スティーヴ・ドーソン: 私はスティーヴ・ドーソンです。OLIVER DAWSON SAXONのベースプレイヤーだ。また東京にこれて本当に嬉しいよ。

ブライ・ショウネシー: ヴォーカリストのブライです。今日はインタビューをしてくれてありがとう。

グラハム・オリヴァー: OLIVER DAWSON SAXONのギタリスト、グラハム・オリヴァーです。初めまして。

カイル・ヒューズ: ドラマーのカイル、OLIVER DAWSON SAXONのドラマーです。

ガヴ・コールソン: ギタリストのガヴィです。宜しく。

JERO: グラハムさん、スティーヴさんのお二方はSAXONの初来日から実に38年降りの来日となります。前回の来日と変わった印象は受けましたか?

スティーヴ: 前回の来日は1981年だったな。あの時は4回のショーをやったよ!結構大変なスケジュールでね、空港にに着いたらたくさんのファンが 待ち構えていて驚いたよ。ホテルまでファンが追っかけてたりと楽しかった思い出ばかりだね。ライヴと移動の繰り返しだったので、東京の記憶よりも 新幹線に乗って移動をした時に窓から富士山が見えて美しかったのを良く覚えてるよ。

グラハム: あの時は一日中、音楽雑誌のインタビューを受けていて殆どオフはなかったね。インタビューの時にサムライの格好をさせられたのを良く覚えているよ。

JERO: サムライ!昔の洋楽雑誌はそういうネタが好きでしたからね!では私は14歳の時からのSAXONマニアなので少々マニアックな質問をさせて頂きます。 失礼があればお許しください。グラハムさん、スティーヴさんにいくつか質問をしたいと思います。SAXONのアルバムについて質問をします。 ファースト・アルバム「SAXON」ではヘヴィメタルというよりも、ブリティッシュロックの影響を感じるアルバムだと思います。 セカンドアルバムの「WHEELS OF STEEL」では音楽性を変えてスピード感を重視した、SAXONのオリジナルサウンドと変化を果たしたきっかけはなんでしょうか?

グラハム: SAXONのメンバー全員は非常に豊かな個性を持ち合わせていて、各自の好みの音が微妙に違っていたんだ。バンドが結成された70年代には イギリスではパンクロックが流行っていたり、我々もHEAVY METAL KIDSとツアーを行ったりしていたから、様々なジャンルの音楽に触れていたよ。 私はシンプルな音楽を好んでいたけど、ポール(クイン・SAXONのオリジナルギタリストの1人)はうるさい音楽を好んでいたから、2人の好みの違いが セカンド・アルバムを作る際には結果的には良い影響を与えたのだと思うし、私とスティーヴ(ドーソン)のチームはBLACK SABBATHの二人、トニー・アイオミと ギーザー・バトラーの様なコンビネーションを彷彿させた事からも、SAXONは本物のバンドだとマスコミやファンから受け入れられたのだと思うよ。 メンバー全員がお互いに刺激を与え、影響を受け合った事が自然とセカンド・アルバムでの音楽性の変化に繋がったんだろうね。

スティーヴ: ファースト・アルバムの『SAXON 』を発売した頃、我々のマネージメント会社はQUEENも所属していたトライデントだった。 マネージャーはノーマン・シェフィールドとロイ・トーマス・ベイカー。QUEENのマネージャーだった奴等だ。 レコード会社のCarrereレコード(注・フランスのレコード会社・何故かSAXONは英国ではなくフランスのインディーズレーベルと契約をした)から貰った契約金の 3万ポンドはマネージメントへの支払い、ツアー資金や様々な経費を支払ったらあっという間に無くなってしまったし、何しろファーストが1万2千枚しか売れな かった事がバンド活動に暗い影を落としていた。そんな時、Carrereのオフィスに呼び出された我々を待ち構えていたのは、まさかのクビ勧告だったんだ・・・・ これには参ったが、我々は一念発起をしてとにかく良い曲、良いアルバムを作ろうとメンバー全員が気合いを入れ直したよ。その後、ウェールズにある スタジオに籠って合宿をしながら作詞と作曲に明け暮れた。暖房もないスタジオだが、クビ勧告や辛い思いをしながらも一生懸命に創作活動を行った事が セカンドアルバムの変貌に繋がったと思う。セカンド・アルバムの「WHEELS OF STEEL」はTHE WHOのスタジオ(注・ランポートスタジオ、JUDAS PRIEST、 TANK、THIN LIZZY、DEMON等も使用した有名なスタジオ)で録音した。おかげさまでセカンドは世界中で売れたよ(ドヤ顔)。

JERO: おお、なるほど。長年抱いていた謎が解けました! では続いてもアルバムに対しての質問です。初期のSAXONのアルバムでは作詞、作曲のクレジットに メンバー全員の名前が書いてありました。他のバンド、例えばIRON MAIDENならは作詞、作曲者がポール・ディアノやスティーヴ・ハリス等と細かく書いて あります。SAXONは何故メンバー全員の名前が書いてあったのでしょうか?

グラハム: SAXONはメンバーの各々が個人で作曲を行うのではなく、全てのメンバーの意思を反映して作曲に携わる共同作業を大事にしていたんだ。

スティーヴ: あるメンバーがギターのリフのアイデアを持って来たら、またあるメンバーが歌のメロディーを持って来る。そしてまた違うメンバーが曲の テーマを持って来て・・・・例えばケネディ大統領に関する事(注4)とかね。そうしてメンバー全員が参加をして最終的に曲になっていったよ。

グラハム: 当時は 我々のリハーサルスタジオに入ると、ピート(ギル・SAXONの初代ドラマー。映画ヘヴィ・メタル・サンダーにも出演を拒否する位に険悪な 関係に)がいつも最初にスタジオに中にいてドラムをドドタン!と叩いていて、そこに私が参加をしてギターリフをジャジャジャジャー!と乗せていく。その内に スティーヴが現れてベースをブブブンと弾き出すんだよ(とDallas 1pmのフレーズを口ベースで歌い出す)。

スティーヴ: メンバー全員の名前がアルバムのクレジットに記載されていたのは、我々は民主的なバンドだったからだな。曲作りに関してもそうだが、 サウンドやバンドのクオリティコントロールを維持する側面から見ても全員参加の作曲は大事だったね。

グラハム: 例えばだ、THE WHOのピート・タウンゼントがアコースティック・ギターで作曲をするとしよう。曲の母体を作って来たのはピートだけど、 メンバー全員が参加をして曲に色付けをするとTHE WHOのカラーが前面に出て違う物が産まれた様にね。

JERO: まさかSAXONとTHE WHOとの関連性をこんな所で見出すとは思いもよりませんでした!驚きです。続いてはシンガーのブライさんに質問です。 私はNWOBHMが大好きで、あなたが在籍したSEVENTH SONも好きです。レコードも幾つか持ってます、今もありますよ(と言って袋の中よりSEVENTH SONの 7’EPとLPをゴソゴソと取り出しメンバーに見せる)。 メンバー一同: おおっ!

JERO : さてブライさん、あなたは80年代の初頭にNWOBHMのシーンの中で活動をしてきたと思いますが、当時のお話をお聞かせ下さい(ワクワク)。 シングルのみで消えたNWOBHMバンドの殆どはツアーや大きな活動は出来ませんでしたが、SEVENTH SONはツアーやライヴはたくさん行ってましたか?

ブライ: 70年代の中頃、私も音楽が大好きでした。SAXONになる前の2つのバンドであるCOASTとSOBも好きでしたよ。後に彼らが合体してSON OF A BITCH になり、SAXONとなったのは驚きました。その頃、私はアートスクールに通っていて、バンド活動は行っていたけれどもダンスパーティーでプレイする程度でした。 同時期に私の兄がバンド活動を始めたのですが、ローディーをやらされたりバンドのスタッフとして働いていた時、ヴォーカルが脱退してしまったんだけど、 『お前が歌え!』と半強制的に兄に加入をさせられました。その三か月後にはライヴが決まっていて、そのバンドがSEVENTH SONとなりました。 我々のサウンドにはパンクテイストがあり、誰にでもバンド活動が出来るというスタンスはNWOBHMの他のバンドも同じだったと思います。地元のヨークシャーの パブでショーを行う位しか活動が出来なかったのですが、レコードを作りたいと思いまして、友人達からお金を借りて初めてのレコードを作りました (7’EP “Man in the Street”の事かと思われる)。録音はイギリス北部にあるハルという町のスタジオで行いました。ここはDEF LEPPARDも使用してました。 レコードを発売した後も大きなツアーは出来ず、少しづつライヴを行いレコードを売っていました。

JERO: ううむ、NWOBHMならではの生々しい話が聞けて満足です!鳥肌が止まりません。ありがとうございました。さてお待たせしました、 ギタリストのガヴさんに質問です。このバンドに加入した経緯を教えて下さい。

ガヴ: 2004年に俺はVintage Guitar社で働いていたんだ。ヴィンテージ、と言っても古いギターではなくギターのメーカーの名前がヴィンテージギターと 言ってね。そこでの主な仕事は新作のギターや試作品のギターが完成するとイギリス内の楽器店を営業回りして、そこでデモンストレーション演奏を 行う事がメインだった。そんな事をしている内にグラハムとスティーヴとも知り合いになって、スティーヴのベースのシグネチャーモデルを作ったりと、 彼等とは懇意にしていたんだ。ある日、グラハムからOLIVER DAWSON SAXONへギタリストとして加入しないか?とオファーがあったんだ。彼等はその時に ヨーロッパをツアーを行う予定があった。しかし、その時には運悪く俺は三週間の休暇中でね。最初はその誘いを断ったんだけど、その話を妻に話したら 『何をグズグズしてんのあんたは!もう一度連絡をしてやるって言いなさい!』と怒られたんだ(笑)。休暇中だったけども、バケーション先からメンバーに もう一度連絡をして加入を決めたよ。俺は13歳からのSAXONファンで、初めて観たショーもSAXONだった。そんなバンドでギターを弾けるなんて・・・・ 本当に光栄だよ。

JERO: これまたいい話ですねえ・・・・良い奥さんをお持ちですな。さてカイルさん、あなたはつい最近もマルコ・メンドーサのショーで来日をしたばかりですね。 短期間で来日が出来た感想を是非ともお聞かせ下さい。

カイル: イエー!5月に日本に来たばかりだけど、今回はスティーヴから日本へ行こう!と連絡が来たんだ。短い期間で日本に来れてとても嬉しいよ。 何回来ても最高だ!

JERO: た、楽しそうでいいですねえ!さて、ここでまた話は80年代に戻ります。グラハムさんとスティーヴさんに昔の話をいくつかお聞きしたいと思います。 1979年にMOTORHEADが行ったBOMBERツアーにSAXONは参加をしています。当時のMOTORHEADは非常に悪評が多かったと思います。 この時、実はUFOとツアーをする予定だったそうですが、MOTORHEADになってしまった時のお気持ちをお聞かせください。

グラハム: ・・・・こ、怖かったよ(遠い目)MOTOREHEADとのツアーが決まってから、夜も眠れない日々が続いたんだ(一同爆笑)ツアーはバス一台で移動した。 レミー(キルミスター)は朝10時からスクリュードライヴァーとジャックダニエルズを飲み出すんだけど、それを断る訳にはいかないからねえ。洗礼を浴びたよ。 でもレミーは本当にナイスガイで驚いたな。その後は彼等とはとても仲良くなり、70年代、80年代、90年代と30年の時を超えてMOTORHEADとツアーが 出来たし、レミーとは特別な絆が生まれた様に思う。特にレミーがSAXONを評価してくれたのは本当に嬉しかった。私は当時のライヴではアグレッシヴな 動きをしていて、ギターを弾きながら前転をするのが得意だった。それを観たレミーが『そんな動きはジミ・ヘンドリックスとお前にしか出来ねえぞ! (注・レミーはジミヘンのロードクルーだった)』と褒めてくれたんだ(ニコッ)。

JERO: ぜ、前転!森光子も驚きですね!レミーはやはりいい人だったんだなあ・・・・さて、もう少し昔の話を聞きます。1980年にイギリスのドニントン・パーク にて開催されたMONSTERS OF ROCK(出演はRAINBOW、JUDAS PRIEST、 SCORPIONS、RIOT、APRIL WINE、TOUCH)に出演しましたが、6万人の前で 演奏をしたと思います。その時の思い出や感想をお聞かせください。

スティーヴ: あんなに大きな会場、沢山の人の前でプレイをしたのは初めてだった。とにかく緊張をしたし、どれだけ大きな音が出せるのかビビったな。 しかもこのステージをライヴ録音する、とか聞かされたもんだがら余計に緊張をしたしね。ミスらない様にプレイしないとならないし、とにかくナーヴァスに なってしまった。この時のライヴ音源を聴くとテンポが異常に速くてね、やはり緊張は隠せなかったよ。演奏時間は45分と短めだったけど、緊張し過ぎて 何にも覚えてないんだ。『本当にライヴをやったのか!?』って、他人事の様に思えたよ。覚えているのは、共演をしたJUDAS PRIESTのメンバーと楽屋で つるんでいた事かな。それは楽しかったね。

グラハム: ステージと楽屋がかなり離れていたんだ。出演したバンドはシャトルバスを利用してて移動をしていたんだけど、バスの中ではSCORPIONSや 遊びに来ていたDEF LEPPARDのメンバーも一緒だったよ。その時にメルセデスベンツがすーっと近寄って来て、車の窓がスーッと開いたんだ。 次の瞬間に車の中から『グラハーム!』と私を呼ぶ声がしてね。誰?と恐る恐る車に近づいて行くと、車の中にいたのは・・・・リッチー・ブラックモアだった (一同どよめく) リッチーとは前に一度少しだけ話をした事があっただけで、殆ど面識は無かった。私は彼の大ファンでね、音楽雑誌のインタビューで その事を話したんだけど、その雑誌をリッチーがどうやら読んでいたみたいで。そこで私はリッチーと30分間も話をしたよ。彼とは仲良くなり、その後にSAXONは RAINBOWとアメリカツアーを行うまでになり、そしてそのツアーは成功を収めた。リッチーは変人、という噂があるけれども、彼は私にとても良くしてくれたし 今でも私はリッチーのファンだよ。

JERO: 予想の範疇を遥かに上回る話が次々と出て来て、先程より鳥肌が全開ですよ!話を現代に戻します。OLIVER DAWSO SAXONは2012年に アルバム『MOTORBIKER』をリリースしました。この作品は常にヘヴィなアルバムだと思います。新しいアルバムを作る予定があれば教えて下さい。

グラハム: うーむ、アルバムを作りたいのは山々なんだが、最近はCDは売れないしね。難しいな。いざCDを発売して赤字になっても嫌だしね。 最近は皆Spotifyとかで音楽を聴くようになってるしね。しかし新曲のアイデアは常に持っているし、カイルもアイデアを持っているんだ。

JERO: うーむ、私個人的にはやはりフィジカルで音源が欲しいですが、時代は厳しいですねえ。さて、長々と失礼しました。そろそろ終わりの質問です。 グラハムさん、スティーヴさんにお聞きします。SAXONのドキュメンタリー映画『ヘヴィ・メタル・サンダー』の中であなたたちはSAXONの二人、ビフ・バイフォードと ポール・クインと共演をしたいと語っていますが、現在でもその気持ちは変わりがありませんか?

スティーヴ: (あっさりと) 問題ないよ。皆、歳を取るばかりだし些細な事はもうどうでもいいと思ってる。しかし、実現するとしたらあくまでゲスト参加、 という形がベストだな。正式な再結成となると色々と条件も出て来るだろし、難しいと思う。例えば、単発のショーを1、2回位行う形であるならば楽しいと思うね。

グラハム: 実はポールからそのような話が以前にあったんだ。例えば本家のSAXONに私とスティーヴがゲストとして参加をするのがベストだと思う。 しかし・・・・約1名、反対をする人がいるだろうね(苦笑)スティーヴがいう様に我々はもう若くはないので、チャンスがあればやってもいいとは思っている。

JERO: ううむ、やはり難しいですよね。約1名ですかあ・・・・誰なのかはマニアならば勿論分かります、分かりますよ。お互いの気持ちも。

グラハム: 一つ付け加えたいのだが、今日の様にこうして若いメンバー3人とプレイが出来る事は本当に楽しいし、重要な事だ。東京に着いてから このメンバーでリハーサルを行って、気持ちは今夜のショーに向けて非常に高まっている。とってもやる気が湧いてるよ。良い音楽はこうして様々な形で 生き続けて行くんだ。

JERO: おー、上手く締まりました!ありがとうございます!では最後にメンバー全員で日本のファンにメッセージをお願いします。

スティーヴ: 日本は素晴らしい国だし、とにかくヘヴィ・メタルに対して非常に理解がある事は素晴らしい事実だ。ヘヴィメタル専門のレコードストアもあるしね。 今夜のショーをお楽しみに。

ブライ: 私の住むニューキャッスルから遠く離れた日本で歌える事を感謝しております。今夜のショーが楽しみです。

グラハム: 38年という信じられない時間を超えて、こうして日本へ戻って来れて本当に嬉しいよ。今夜のショーが楽しみだ。

カイル: 今回のツアーに参加が出来て非常に嬉しい。SAXONのショーで日本へ来れたのは光栄だね。

ガヴ: まずは日本に来れてとても嬉しいよ。このメンバーで昔のSAXONの名曲の数々をプレイ出来るなんて、夢のようだ!

JERO: どうもありがとうございました!今夜のショーを楽しみにしています。

インタビュー JERO(ABIGAIL)

2019.9.17

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